
「精通」や「初潮」って誰が決めたの? ― 性にまつわる日本語の意外な語源を探る
投稿者 : on
私たちは、性について話すとき、どこか「口にしづらい」空気を感じることがあります。
それは内容そのものの問題というよりも、使う言葉に重々しさや照れくささが染みついているからかもしれません。
たとえば「初潮(しょちょう)」や「精通(せいつう)」という言葉。
どちらも思春期の体の変化を表すものですが、日常会話で自然に出てくることはまずありませんよね。
「難しそう」「古めかしい」「なんか学校ぽい」といったイメージを持つ人も多いでしょう。
今回は、そんな性に関する言葉の“語源”に注目して、言葉が持つ歴史やニュアンスを紐解いてみます。
「初潮」:なぜ“潮”なのか?
「初潮」は、女性が初めて月経を迎えることを意味する言葉。では、なぜ「潮」なのでしょうか?
「潮」という言葉は、海の満ち引きと月のリズムを連想させるため、昔から月経と結びつけて考えられてきました。
英語でも「period(周期)」や「menstruation(月の変化)」など、月や自然のリズムに基づく表現が多く見られます。
また、日本では古くから月経は「けがれ」とされる一方で、「女性が神聖な力を持つ時期」と考えられる場面もあり、宗教的・文化的な二面性がありました。
「潮」というやわらかい語感は、その微妙なニュアンスを包み込むための、いわば“やさしいオブラート”だったのかもしれません。
「精通」:なぜ“精”を“通る”?宗教と漢語の影
一方、男性の思春期の変化を表す「精通」。
これは、中国古典医学や儒教的な影響を受けた言葉です。
「精」は「精子」を含む生命エネルギー、「通」は“流れが通る”という意味。
つまり、生殖能力が発現することを、まるで“気の通り道”のように表現した言葉なのです。
実はこの言葉、「性を語ることをタブー視する時代」に、医学や宗教という“堅い皮”でコーティングされた表現だったとも言えます。
だからこそ、現代の子どもたちにはちょっと遠くて難解に感じられるのです。
「避妊」:実は明治以降の近代語?
意外かもしれませんが、「避妊」という言葉は、明治時代以降に西洋医学の流入とともに登場した比較的新しい表現です。
それまでは「間引き」や「堕胎」といった、もっと過酷で直接的な選択肢が語られる時代が続いていました。
この言葉の登場には、以下のような背景があります:
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人間の自由や健康の保護
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社会や家族の在り方の変化
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性と身体の自己決定権の意識
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女性の権利意識の高まり
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医療技術の発達
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国家の人口政策
つまり「避妊」は、単なる医療用語ではなく、近代社会の価値観や思想を反映した言葉だといえるでしょう。
セイシルでの避妊に関する記事はこちら
「セルフプレジャー」:自分を大切にするという考え方
最近では、特に女性の性教育やフェムテックの分野で、「マスターベーション」という言葉をもっと中立的・肯定的に表現しようという動きが広がっています。
そこで登場したのが「セルフプレジャー(self-pleasure)」という表現。
この言葉は、「自己愛」「自己肯定」「快感は自分自身でも育てていいもの」というメッセージを含んでおり、“行為”よりも“自分を大切にする態度”としての性に焦点を当てています。
たとえば、メンタルケアの現場でも、セルフプレジャーを「ストレス解消」「身体の理解」「自己決定権の一部」として積極的に扱うケースも増えています。
セイシルでもストレスとセルフプレジャーの関係について紹介しています。詳しくはこちら
「セルフプレジャー」や「自分の体に触れることも大切な学び」という前向きな語り方は、自分を大切にする感覚を育む入り口にもなります。
「なんとなく汚い」「口にしたくない」という気持ちを乗り越えるには、まずその言葉に込められた“背景”を知ることから始めるのが大切ですね。
言葉が変われば、性教育も変わる
言葉は時代を映す鏡です。
そして、私たちが“どう伝えるか”を考えたとき、最初に向き合うのも言葉です。
例えば男性器にしても「ペニス」「陰茎」「おちんちん」「デリケートゾーン」など、親・学校・メディアごとに呼び方はバラバラ。
それぞれの言葉に、時代や意識の違いが表れているのです。
ことばを“開く”ことから始めよう
性教育において最初の壁は、知識の不足ではなく、言葉の閉鎖性にあるのかもしれません。
「なんとなく言いにくい」「恥ずかしい」と感じてしまうのは、使う言葉が私たちにそう感じさせているからです。
だからこそ「なんでこの言葉を使うんだろう?」と一度立ち止まってみることが、性教育を“もっと開かれたもの”に変える第一歩になります。
性を語るときこそ、言葉に敏感でいたい。
そんな視点を、今日から少しだけ持ってみませんか?